横浜ランドマークタワーの足元に、石を積んだ全長約107mのくぼみがあります。1896年に竣工した旧横浜船渠第2号ドックで、タワーの公式サイトはこれを「後世に伝えるべき資産として復元して生まれた」広場、ドックヤードガーデンと呼んでいます。ここから海側へ歩くと、木のデッキにレールが埋まった汽車道があり、渡り切った先の赤レンガパークには旧横浜港駅のプラットホームが残っています。
桜木町駅から赤レンガ倉庫へ歩く人が、途中の三つの跡をどの順に見るかを決めるための記事です。みなとみらいの買い物や夜景の店は扱いません。赤レンガ倉庫の中身は横浜赤レンガ倉庫の記事に書きました。
石のドックが広場になったドックヤードガーデン
ドックヤードガーデンの元は、横浜船渠株式会社の第2号ドックです。横浜ランドマークタワーの公式サイトは、その由来を1886年から語ります。この年に横浜の財界人が横浜桟橋会社盟約を結び、築港の計画を英国人のH.S.パーマーに委嘱しました。パーマーは港の経営には船渠と倉庫などの整備が要ると説き、これを受けて設立された横浜船渠株式会社が、2つの石造りドックを中心に船の修理設備を整えたという経緯です。第2号ドックは海軍技師の恒川柳作の設計で1896年12月に竣工し、第1号ドックの竣工は1898年12月でした。公式サイトの言い方では、現存する商船用石造りドックの中では日本最古です。文化庁の国指定文化財等データベースの言い方では、民営のものとしては現存最古の石造乾船渠です。
大きさは全長約107m、上端の幅約29m、深さ約10m。石は真鶴や伊豆の本小松石・新小松石などで、直方体の石の長い面と短い面を交互に見せて積むブラフ積みです。ドックは1973年11月に機能を止め、扉船が外されました。1983年3月に三菱地所が造船所の跡地を取得し、1989年4月にこのドックは横浜市の歴史的建造物の認定を受けます。1990年1月から解体調査に入り、同年7月に復元工事を始めて、1993年7月に復元工事が終わりました。横浜ランドマークタワーの開業と同じ月です。国の重要文化財の指定は1997年12月3日で、所有者は三菱地所です。役割を終えたドックは、所有者と横浜市で検討した結果、イベント・スペースとして再生されました(文化庁の解説文)。
解体調査の最中の1990年3月24日、底の敷石の下から金属の銘板が出てきました。為建基式記念の文字と横浜船渠株式会社の役員の名簿が刻まれていて、恒川柳作の名も設計及び監督技師の肩書きで入っています。この銘板は、ドックを見下ろせる横浜ランドマークタワー3階のオフィスロビーに展示されています。
ドックヤードガーデンは、ライブやコンサート、プロモーションに使う屋外スペースでもあります。催しのある日はその会場になるので、予定はみなとみらい21公式サイトのイベントカレンダーで見られます。催しの無い日に入れる時間の決まりは、ランドマークタワーの公式頁に見つからず未確認です。
レールを埋めた遊歩道の汽車道
汽車道は、桜木町から新港地区を結ぶ遊歩道です。横浜市港湾局によると、1911年に開通した旧臨港鉄道の廃線跡を整備したもので、ウッドデッキの表面にレールが見える景観が親しまれてきました。道の途中に鋼のトラス橋が3つ架かり、市はこれを港一号・港二号・港三号橋梁として認定歴史的建造物の頁に載せています。港一号橋梁と港二号橋梁は、どちらも1907年に製作された鋼トラス橋で、設計はどちらも鉄道院で、一号の製作はアメリカン・ブリッジ社です。港三号橋梁は旧大岡川橋梁で、1906年に夕張川橋梁として製作され、1928年に大岡川橋梁として移設された鋼ワーレントラス橋です。橋のあいだの旧臨港線護岸は1910年の割石練積で、こちらも市の認定歴史的建造物です。
2026年4月27日、市はこの道に鉄道遺構の展示施設を整備したと発表しました。ウッドデッキの老朽化で改修工事をしたとき、デッキを外すとふだんは隠れているレール全体や枕木が露出し、その様子がSNSで話題になりました。「工事期間中だけでなく、いつでも見られるようにしてほしい」という声が多数寄せられたので、工事後も遺構の一部を恒久的に展示することにした、というのが市の説明です。旧臨港鉄道で実際に使われたレールと枕木をできる限りその場で保存し、上のアクリル面から見る構造で、夜はライトアップされます。桜木町駅から赤レンガ倉庫へ向かう途中にあり、この道で夜に明かりが入るのはこの展示施設です。
赤レンガパークに残るプラットホーム
汽車道を渡り切った先の赤レンガパークには、旧横浜港駅のプラットホームと、旧横浜税関事務所跡の遺構が保存されています。赤レンガパークは、赤レンガ倉庫を中心に歴史と景観を生かした緑地です。この駅が置かれた年と、プラットホームが復元された年は、横浜市の公式頁に見つからず未確認です。
赤レンガ倉庫そのものは、新港ふ頭の保税倉庫として2号倉庫が1911年、1号倉庫が1913年に竣工した建物で、2002年4月12日に文化・商業施設として開き直しました。1号館が2号館より短いわけは、横浜赤レンガ倉庫の記事で書いています。
桜木町駅から赤レンガ倉庫へ歩く順
JR・市営地下鉄の桜木町駅から汽車道経由で、赤レンガ倉庫まで徒歩約15分です(赤レンガ倉庫の公式サイト)。この道筋に三つが順に並ぶので、ドックヤードガーデン、汽車道の橋と展示施設、赤レンガパークのプラットホームの順に見て、最後に赤レンガ倉庫に着く形です。ドックヤードガーデンは横浜ランドマークタワーの敷地内にあるので、先にそこへ寄ってから汽車道へ向かいます。
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鉄道の跡をほかにも見るなら、象の鼻パークに横浜税関遺構の鉄軌道と転車台があります。市の認定歴史的建造物で、築造は1895年から1896年、転車台は直径2.50mのものが4基です。車両や模型を見るなら、横浜の鉄道ミュージアムの記事に4館を書いています。
造船所と貨物の線路の町だったころ
横浜船渠は1935年11月に三菱重工業に合併して同社の横浜船渠となり、1964年に横浜造船所と改称しました。1960年から1965年ごろは捕鯨の盛んな時期で、第2号ドックはキャッチャーボートなど小型船の修繕に使われました。公式サイトは、伊勢山や掃部山から見下ろせる立地でハマのドックとして長く市民に親しまれてきたと書き、少年時代にこの建設現場で使い走りをした小説家の長谷川伸と、船具工としてドックで働いた吉川英治の名を挙げています。
横浜市港湾局の港の歴史の頁によると、明治の中ごろから続いた整備で港が沖へ広がり、開港から150年を経て新港ふ頭・大さん橋の地区が港のいちばん奥になって老朽化も進みました。そこで港と街の調和をはかる計画として進められたのがみなとみらい21計画でした。造船所は1982年11月に本牧・金沢へ移り、1983年11月にみなとみらい21中央地区の区画整理事業が起工します。1987年3月に埋立工事の第1工区が終わり、第2号ドックは海と切り離された閉水域になりました。埋め立てたこの地区で横浜博覧会が開かれ、美術館と観覧車が残った経緯は横浜博覧会 YES’89 の記事にあります。
横浜市は1988年に歴史を生かしたまちづくり要綱を施行しました。市の要綱の趣旨は、開港以来の近代建築や土木遺産について「歴史的資産を再評価し、街づくりの資源として位置付け」、保全と活用を図ることです。第2号ドックが市の歴史的建造物に認定された1989年4月は、その翌年です。
編集部の考え
この道を取り上げたのは、三菱地所と横浜市が1896年のドックを埋めずに石積みのまま広場に直し、市が1911年の貨物線の橋を歩く道に変えたからです。ドックは1973年に役目を終え、1993年に広場として開き、1997年に国の重要文化財になりました。汽車道では、2026年に改修工事で見えたレールをいつでも見られるようにしてほしいという声に市が応えて、展示施設を足しました。