横浜赤レンガ倉庫の2号館と1号館は、新港ふ頭の保税倉庫として同じ計画で建った2つの倉庫です。並んで立つ2つの長さがいま違うのは、1923年の関東大震災で1号倉庫の中央部分が崩れ落ち、1930年に終わった修復でほぼ半分の大きさに縮められたからです。
どちらも入場料はかかりません。1号館は10:00〜19:00、2号館は11:00〜20:00に開いていて、法定点検日を除き毎日営業です(2026年10月2日に公式サイトのよくある質問で確認)。店と催しの一覧は公式サイトに任せて、ここでは倉庫だったころの部材がどこに残っているか、2つの倉庫の来歴、駅からの道を、公式サイトの歴史と施設案内の頁から書きます。
国の保税倉庫として建った
開港のころの横浜には船が着ける岸壁がなく、明治政府は1896年に鉄さん橋(いまの大さん橋の前身)を造り、1899年に第二期の築港工事として新港ふ頭の建設を始めました。公式サイトはこの新港ふ頭を、上屋・倉庫・クレーン・鉄道を備えた日本で最初の近代的な港湾施設だと説明しています。赤レンガ倉庫はその一部で、建ったときの名前は横浜税関新港埠頭倉庫でした。保税倉庫は、輸入の手続きが済んでいない貨物を一時的に置いておく施設です。
先に建ったのは2号倉庫で、1907年に着工し1911年に竣工しました。設計は大蔵省臨時建築部を率いていた妻木頼黄です。1号倉庫は1908年着工、1913年竣工で、公式サイトには、完成した2つの倉庫は「日本が世界に誇る最新鋭の倉庫」とあります。日本最初の荷物用エレベーター、消火水栓(スプリンクラー)、防火扉を備え、耐震のためにレンガの中に鉄材を埋め込む定聯鉄構法という手法を採りました。レンガはすべて国産で、2号倉庫だけで318万個近く使われています。
関東大震災で1号倉庫の中央が崩れた
1923年9月1日の関東大震災で、横浜港の施設は壊滅的な被害を受けました。2号倉庫は倒壊を免れましたが、1号倉庫は中央部分が崩れ落ちました。公式サイトは、建物に耐震技術が施されていたこともあって震災を生き延びたと説明し、この震災で多くのレンガ造の建物が倒れ、その後は鉄筋コンクリート造が主流になったので、残っているレンガ造は数が少ないと続けています。
1930年に終わった修復で、1号倉庫はほぼ半分の大きさに縮められ、内側に鉄筋コンクリートの補強壁が付きました。2号倉庫も耐震性を高めるためにクレーンが撤去されています。1号館と2号館の3階の一部が4階になっているのは、貨車からプラットホームに下ろした荷物を上げる側壁揚重機(クレーン)の機械室だった所です。1・2号館に4基ずつあったものが震災のあとに撤去されて窓に改造され、この部分は公開されていません。
震災のとき横浜の街で何が起きたかは、関東大震災の跡を歩く記事に書きました。
倉庫だったころの部材が残る場所
公式サイトは横浜赤レンガ倉庫の秘密という頁で、倉庫だったころの部材を場所つきで挙げています。
- 防火戸と吊戸車。80坪の庫室を区切るための約400kgの防火戸と、それを動かすアメリカ製の部材の吊戸車です。火災のときにこれを閉めて延焼を防ぎました。1・2号館に残り、いまは消防用の設備としては使っていません。
- 階段室。完成したときは区画ごとに階段室がありましたが、当時のまま残るのは1号館の道路側の1か所です。階段の中央がスロープになっていて、上の階の荷物をずり下ろして貨車に積みました。
- 荷役用エレベーター。1・2号館のバルコニー側に計5基あり、すべて米国オーチス製でした。そのうちの1台が1号館に展示・保管されています。
- 非常用水栓(スプリンクラー)。1・2号館のバルコニーに残っています。
- 避雷針。いまのものは改修工事で付けられたもので、先端から台座の下端まで3mあります。竣工当時の姿に復元したもので、避雷針として働いています。
- 鉄道のレール。明治44年に開通したレールで、関税の手続きを終えた荷物はここから全国へ運ばれました。2号館のイベント広場側と駐車場側のプラットホームに残り、駐車場側には石畳も残っています。
倉庫の歴史を説明するパネルは1号館の道路側にあります。レールは赤レンガパークの旧横浜港駅プラットホームの前にも保存されていて、そこと桜木町駅からの汽車道のことはみなとみらいの港の遺構を歩く記事に書きます。
倉庫を終えて横浜市が買い取るまで
第二次世界大戦で海外との貿易は途絶え、赤レンガ倉庫は軍事物資の補給基地になりました。終戦後はGHQに接収されてアメリカ軍の港湾司令部が置かれ、事務所や食堂が入って倉庫としての機能は止まります。接収は約10年間続き、解除後の1956年からは1号倉庫が税関倉庫、2号倉庫が公共の上屋として再び動きました。1974年の主な取扱品は、輸入が羊毛、輸出がタイヤ・光学機械・合成樹脂で、年間90,000tでした。
昭和40年代以降に海上輸送のコンテナ化が進み、大型船に合わせた新しいふ頭が整備される中で、1976年には取扱貨物量が激減しました。1986年には年間2,000tで、輸入は塩蔵野菜や竹ほうき、輸出はコピー機械が中心だったと公式サイトは書いています。1989年に倉庫としての用途は廃止され、約80年の役目を終えました。
横浜市は1983年にみなとみらい21事業に着手していて、新港地区は赤レンガ倉庫を中心に歴史と景観を活かした街づくりをすることになっていました。市は国との交渉の末、1992年に土地と建物を取得し、保存・活用検討委員会を置きます。1994年に始まった屋根の改修、窓やひさしの復元、落書きの除去、鉄骨による構造補強は1999年まで続き、2000年からは文化施設・商業施設として使うための内部の改修に入りました。公式サイトはこの工事で「歴史的建造物としての記憶を留めるために創建当時の部材を残す工夫」をしたと書き、コルゲート天井、防火戸、吊戸車、階段室を挙げています。
約9年間に及ぶ工事が終わり、2002年4月12日に開館しました。1号館はホールや展示スペースを備えた文化施設、2号館はレストランやショップの商業施設で、この年の来場者は569万人でした。2007年に経済産業省の近代化産業遺産に認定され、2010年にはユネスコ文化遺産保全のためのアジア太平洋遺産賞の優秀賞を受けています。
開いている時間と駅からの道
1号館は10:00〜19:00、2号館は11:00〜20:00で、カフェとレストランの時間は店によって違います。1号館の2階と3階はホールとスペースで、催しによって開く時間が変わります。ホールとスペースの問い合わせ先は公益財団法人横浜市芸術文化振興財団(045-211-1515)、店の問い合わせ先は2号館インフォメーション(045-227-2002)です。
最寄りはみなとみらい線の馬車道駅か日本大通り駅で、どちらからも徒歩約6分です。みなとみらい駅からは約12分、JR・市営地下鉄の桜木町駅からは汽車道を通って約15分、関内駅からも約15分と公式サイトは案内しています。この所要時間は目安で、運行状況や乗り継ぎで変わります。土・日・祝祭日は駐車場と周辺の道路の渋滞を見込んで、公共交通で来るよう公式サイトが求めています。
1号館と2号館をつなぐ石畳のイベント広場では、秋に横浜オクトーバーフェスト、冬にクリスマスマーケットが開かれます。その年の日程は公式サイトのイベントの頁で確かめてください。
編集部の考え
この倉庫を取り上げたのは、横浜市が国の倉庫だった建物を1992年に買い取り、約9年間の工事をかけて2002年に文化と商業の施設として開けたからです。市は事業コンセプトを「港の賑わいと文化を創造する空間」と決め、1号館をホールと展示スペースに、2号館を店とレストランに充てました。倉庫だったころの防火戸や階段室を残したまま開けたので、店を回る人が同じ建物の中でそれを目にします。通算の来場者は、2019年に1億人を超えました。