富士宮やきそばは、静岡県富士宮市で戦後から食べられてきた焼きそばです。文化庁の100年フードの認定の文には、富士宮やきそばは「富士宮市民にとって当たり前の日常食であった」とあります。その日常食が「富士宮やきそば」の名で全国に知られるようになったのは、富士宮やきそば学会が設立された2000年の秋でした。文化庁が、地域で世代を超えて受け継がれてきた食文化を認定する100年フードには、令和3年度に未来の100年フード部門で認定されています。申請したのは富士宮やきそば学会です。
特徴は麺と肉かす、だし粉
麺は、製造の工程で蒸したあとに急速に冷やし、表面を油でコーティングして、できるだけ水分を残さないコシのある蒸し麺を使います。キャベツは地元産。ソースは麺になじみやすい、少し辛めで薄味のウスターソースです。肉かすは、豚の背脂を溶かしてラードを作るときに残る副産物で、だし粉はイワシの削り節を作る工程でできる粉末です。紅しょうがについては、認定の文は「ミカチャン」の名称で親しまれていると説明しています。
蒸し麺は日持ちさせるために生まれた
富士宮市内のスーパーで売られている焼きそば麺は、大手メーカーのものではなく、マルモ食品工業、叶屋、曽我めん、さのめんという地元の製麺所の麺が多くを占めます。学会の歴史のページには、市民はこのコシのある麺でなければ納得しないので最初に売り切れるとあります。
この麺を作ったのは、1951年創業のマルモ食品工業の望月晟敏氏です。戦後、インドネシアの戦地で食べた台湾ビーフンの味を再現しようと研究していました。富士宮には浅間大社の参拝客や富士登山の観光客が立ち寄り、身延線が通る富士川沿いは昔から人の行き来が多く、汽車を使った行商も発達していました。そこで、観光客が持ち帰れて身延方面にも売れる、日持ちする麺が求められました。一般の焼きそば麺は一度蒸したあとに茹でるので水分が多くなります。望月氏は蒸したあと茹でずに急速に冷やし、油で表面をコーティングしました。これで日持ちがして、富士宮独特のコシのある麺になりました。
ソースには、その頃イギリスから輸入され始めたウスター系ソースを使い、香り付けには地場産品の製造で出る副産物の肉かすとイワシの削り粉を使いました。どれも安く、簡単に手に入る食材です。当時は富士宮やきそばという呼び名はなく、戦後のガリオアエロア援助の小麦粉が出回る中で、市内全域にやきそばが定着しました。
当時の市内ではオーミケンシなどの製糸工業が盛んで、女工さんたちが昼食に選んだのが、近所の駄菓子屋の一銭洋食(お好み焼き)と焼きそばでした。学校の周辺には駄菓子屋が何軒もあり、子どもは店内の鉄板で焼いてもらった焼きそばを食べ、持ち帰りはお好み焼きという形が定番になりました。市内の飲食店には焼きそば定食があり、焼きそばと御飯、味噌汁の組み合わせです。市民にとって焼きそばはおかずで、主食ではないと学会は説明しています。
蒸し麺の工程は手作業が多く、大量生産に向かなかったので、大手や他の地域には広まらず、富士宮独特の麺として残りました。製麺所は一時3つまで減りましたが、閉業していた木下製麺所が復活して2016年に屋号をさのめんに変え、現在は市内に4つの製麺所があります。
2000年秋、電話帳で店の数を調べた
学会の始まりは、1999年からの富士宮市と富士宮商工会議所による中心市街地活性化のワークショップでした。後に会長になる渡辺英彦氏のグループが、富士宮市は焼きそば店が多く、麺が他と違うことに気づき、静岡県内の焼きそば店を電話帳で調べました。1万人あたりの店の数は、他の都市が平均3〜4店なのに対し、富士宮市は12店でした。「焼きそばでまちおこしをしている所はないよね」という話から、2000年11月29日に富士宮やきそば学会が設立され、渡辺氏が会長に就きました。
2004年4月にはお宮横丁にアンテナショップを開き、2006年2月の第一回B-1グランプリで優勝、2007年6月の第二回でも2連覇しました。学会は、2006年、2007年のB-1グランプリでゴールドグランプリを受賞して、日本を代表するご当地グルメのひとつとして広く知られるようになったと説明しています。
渡辺英彦氏は2018年12月19日に59歳で亡くなり、2019年に渡辺孝秀氏が代表に就きました。代表の挨拶(2023年3月20日付)には、当たり前に食べていた富士宮のやきそばが「富士宮やきそば」として生まれ、学会は「地域の食によるまちおこし」の全国のトップランナーとして走り続けてきたとあります。
100年先へ、語り部を育てる
学会は文化庁の100年フード宣言に応募し、令和4年3月3日に採択が決まりました。2026年6月22日と23日には、第1回の語り部育成アカデミーを大原ビガークラブで開いています。市内と市外の飲食店と4社の製麺事業者が参加し、講義では誕生の背景と全国ブランドに育った歩みを学び、実技では4社の製麺所がそれぞれの麺の特徴を説明しながら焼き方を見せました。学会の報告には、歴史や文化を受け継ぐには「その背景にある物語を語り継ぐ人の存在が欠かせません」とあります。受講した人には学会の上級会員として名刺が渡されました。
店は学会の一覧に83軒
学会の公式サイトの店一覧には、2026年10月7日に数えて83軒が載っています。店ごとに住所と電話番号、定休日が書かれています。営業時間は一覧にないので未確認です。
富士山本宮浅間大社の近くでは、宮町4-23のお宮横丁に富士宮やきそばアンテナショップ(無休)、むすび屋お宮横丁店(無休)、鉄板焼すぎ本お宮横丁店(不定休)が入っています。お宮横丁は、学会が2004年4月にアンテナショップを開いた場所です。同じ宮町の4-22には富士宮焼きそば&ビストロFUJIBOKU(水曜と第3火曜が休み)があり、ここずらよ(定休日なし、臨時休業あり)の住所は浅間大社と同じ宮町1-1です。
富士宮駅のある中央町では、鉄板焼ちゃん駅前店(中央町9-3、水曜休み)、大衆食堂祭(中央町5-1、水曜休み)、キッチントトロ(中央町7-18、日曜休み)が一覧にあります。
行き方は身延線の富士宮駅
富士宮駅はJR東海の身延線の駅で、きっぷうりばは7時から21時です。富士宮市の交通アクセスのページでは、東海道新幹線の新富士駅からバスで富士駅へ約10分、富士駅から身延線で富士宮駅まで約18分。または新富士駅から富士宮駅行きのバスで約25分です。東京駅からは富士宮まで高速バスもあり、浅間大社の案内では予約が要ります。浅間大社は富士宮駅から歩いて約10分で、住所は宮町1-1です。
お取り寄せ
麺は4つの製麺所が作っていて、学会の歴史のページには、市外や県外でも売られるようになったとあります。家で焼くなら、楽天市場で富士宮やきそばを探すPRとAmazonの検索結果PRで、製麺所の麺を探せます。
編集部の考え
富士宮やきそばの麺の作り方は、土地の事情から生まれています。望月晟敏氏が蒸した麺を茹でずに急冷して油でコーティングしたのは、冷凍技術がない時代に、参拝客が持ち帰れて身延方面にも運べる日持ちする麺が要ったからでした。その工程は手作業が多くて大量生産に向かず、他の地域には広まらないまま富士宮に残りました。市民が2000年11月に学会を作って「富士宮やきそば」と名付けるまで、この麺に名前はありませんでした。令和3年度の100年フードに申請したのはその学会で、2026年6月の語り部育成アカデミーには4社の製麺所が参加し、それぞれの麺を焼いて見せています。店で麺の歯ざわりが気になったら、それは店の味付けではなく、持ち帰りの麺だった時代の作り方です。