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横浜外国人墓地の中に入れるのは、雨の降らない土日祝の12時から16時だけ

本文の価格・時刻・日程は2026年10月2日時点の公式発表に基づきます。予約の直前に各公式サイトで最新情報を確認してください。

石の門柱と黒い鉄の門扉が閉じた横浜外国人墓地の山手門。門柱には碑文の板がはめ込まれ、背後に木々が見える
横浜外国人墓地の山手門(正門)。2019年10月撮影 写真: Mayonaka no osanpo(CC BY-SA 4.0、Wikimedia Commons)

横浜・山手の丘の上、港の見える丘公園のそばにある横浜外国人墓地は、ふだんは縁故者の墓参以外には門を閉じています。中に入れるのは、2月から7月と9月から12月の毎週土・日・祝日の12時から16時で、雨の日は開きません。これは墓地を管理する公益財団法人横浜外国人墓地が、維持管理のための募金を呼びかける日で、募金(500円程度)のお礼として中に入れる形です。公開日・資料館・歴史は2026年10月2日に財団の公式サイトで確かめました。

公開日と募金

財団はこの日を募金公開と呼んでいます。受付で募金をすると返礼にパンフレットが配られ、10分程度で一巡できる順路を反時計回りに進みます。歴史に残る人たちの墓所は順路に沿って並んでいて、だれの墓かはそのパンフレットで読む形です。

公開する日は、財団の公式サイトの予定表に月ごとに印が付きます。雨で閉じる日もあるので、出かける前の日に予定表を見てください。1月と8月は公開がありません。

募金の額は、財団のページでは500円程度です。横浜市の観光情報サイト(2024年10月25日更新)には一口200円とあり、数字がそろっていません。公開日以外に中を見たいという相談は、財団の問い合わせのページに、遠慮してほしいとあります。

公開日でない日に見られる所

同じ山手町96番地にある横浜外国人墓地資料館は、9時から17時まで開き、休館日は月曜と火曜(祝日の場合は翌平日)、入館は無料です(募金公開のときを除く)。横浜市の観光情報サイトによると、埋葬された人たちの業績を紹介する資料を展示しています。

門の前からでも見られるものがあります。山手門は大正期にJ.H.モーガンが設計した門で、モーガンは山手聖公会教会やベーリックホール、根岸競馬場も設計した建築家です。彫刻を施した元の門扉は第二次世界大戦のときに金属供出で取り外され、終戦時にばらばらに解体された状態で見つかったため、いまの門扉に替わりました。門柱にはイギリスの詩人トマス・グレイ(1716〜1777)の詩の一節が刻まれています。元町側の通用門はルゥーリー記念ゲイトと呼ばれています。

ペリー艦隊の水兵から始まった墓地

財団が公式サイトに載せている略史によると、墓地の始まりは1854年です。開国交渉のために7隻の艦隊で再び来日したペリーの艦隊で、ミシシッピー号の二等水兵ロバート・ウィリアムズ(24歳)が墜死し、ペリーは幕府に埋葬地とアメリカ人用の墓地を求めました。幕府は横浜村の増徳院の境内の一部を出し、海の見える土地というペリーの条件にも合ったので、ウィリアムズはここに葬られました。遺体は3か月後、日米和親条約で下田の玉泉寺に作られたアメリカ人用の墓地に移されています。

1859年には、本町で殺害されたとみられるロシア使節ムラビヨフの艦隊の士官、ローマン・モフェトとイワン・ソコロフが増徳院に隣接する地に葬られ、ここが諸外国に貸し与えられた最初の墓区になりました。1861年に日本人墓地が移って外国人専用の墓域が定まり、1864年と1866年の約書で墓域が広がって、ほぼいまの範囲になります。1869年に外務省が各国領事館に、土地は無代で貸すが維持・修理の費用は領事団で負担してほしいと伝え、1870年に各国領事団が管理委員会を作りました。この委員会が1900年4月に財団法人になり、2013年1月に公益財団法人へ移っています。

眠っている人

1861年に定まった元町側の通用門付近の墓域が最も古い区域で、1862年9月の生麦事件で殺されたチャールズ・リチャードソンの墓があります。モフェトとソコロフの墓は22区にあり、元町側の通用門の近くです。ウィリアムズの墓は下田に移ったので、ここにはありません。

関東大震災の後に増徳院が平楽へ移り、墓地は22区・5,600坪(約18,500㎡)の広さになりました。震災で大半が焼けた埋葬記録は、最近になって5,000柱を超える記録になり、墓石の数は3,000ほどです。横浜市の観光情報サイトには、40数か国の外国人約5,000人が眠っているとあります。墓地の中には記念碑も立っていて、第一次世界大戦記念碑、関東大震災記念碑、英国・アメリカ・フランス・ドイツ・ロシア・オランダの各記念碑、オネイダ号記念碑が公式サイトの写真に並んでいます。

募金で保つ墓地

財団は公式サイトで「横浜の歴史にあなたの力をお貸し下さい」と呼びかけています。墓地は明治以来、諸外国の公館に貸し与えられた土地なので、横浜市や国の管理下にはなく、財団が自分で維持管理をしています。理事長のあいさつには「無縁墓地が増えて収入も限られたものとなっています」とあり、植栽や清掃、水道、スタッフの賃金を賄うために募金公開を続けている、と書かれています。

公式サイトの2025年度(1月1日〜12月31日)の収支計算では、公開募金は2,487,793円でした。収入の合計は20,734,209円で、墓地使用権の収入と年次寄附金が大きな部分を占めます。支出の合計は26,033,313円、そのうち庭園管理費が7,733,926円、給料・賞与が7,607,000円で、収支差額は6,161,104円の赤字です。財団は、維持管理費の大半を募金公開の募金とその運用で賄っています。

受付で募金を呼びかけているのはボランティアで、財団は募集を続けています。活動は2月から12月末までの土・日・祝日で、高校生以上の健康な人が条件です。いま参加しているのは一般の人と遺族・墓地関係者で、理事長の紹介では、その人たちは横浜の歴史や文化に知識を持つ人たちです。

中で守ること

写真は、墓地関係者以外は原則として撮れません。募金公開のときに順路の中で撮った写真だけは、発表しない個人使用の目的に限って認められています。撮った写真をウェブや印刷物に出すなら、墓地管理事務所に問い合わせる形です。

元町・中華街駅から徒歩約3分

最寄りはみなとみらい線の元町・中華街駅で、6番口からアメリカ山公園を通って徒歩約3分です。6番口はエスカレーターとエレベーターで丘の上まで上がれます。JR根岸線の石川町駅からは元町口を出て元町商店街を通り徒歩約25分、横浜市営バスなら11系統・20系統の港の見える丘公園バス停から徒歩1分で、専用駐車場はありません。

財団の地図のページは、周りの洋館や史跡として港の見える丘公園、横浜市イギリス館、エリスマン邸、ベーリックホール、外交官の家などを挙げています。公開は12時からなので、午前に石川町駅側から西洋館を歩き、港の見える丘公園に出たころに門が開く、という組み合わせができます。西洋館7館の休館日と順路は山手の西洋館の記事にあります。

編集部の考え

この墓地を取り上げたのは、1870年から横浜市でも国でもなく領事団と財団が守ってきた墓地を、いまは土日祝の受付に立つ人たちと500円の募金が支えているからです。2025年度の収支計算では、公開募金2,487,793円を収入に入れても、収支差額は6,161,104円の赤字でした。理事長は墓地を「多くの外国人達の最後の安らぎの場」と書き、財団は門の前に立つボランティアも募集しています。

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