新潟県燕市の背脂ラーメンは、極太の麺と、煮干しの出汁が効いた濃いめの醤油のスープを、豚の背脂で覆った一杯です。文化庁の100年フードでは令和3年度に未来の100年フード部門に認定され、申請したのは一般社団法人燕市観光協会でした。
その由来は、文化庁のサイトに載る2つの文で書き方が違います。認定一覧の文は、金属洋食器を作る職工の出前のために麺と味が変わり、背脂でスープが冷めにくくなったと書きます。文化庁サイトの詳細データ(pdf_518)では、話が1932年の屋台から始まり、背脂は働く人に満腹感を得てもらうために入れたものになっています。
極太麺と背脂の蓋
詳細データにある作り方では、きれいなお湯を窯で沸かして極太麺をゆで、最後に蓋をするように背脂をかけます。具はチャーシューとメンマ、大きめに刻んだ生の玉ねぎで、店によって違いがあります。認定一覧の文は、スープを煮干しなどの魚介類の出汁が効いたやや濃い醤油味とし、背脂は丼から湯気が上がらないほどかけると書きます。
詳細データによると、近年はメタル丼という金属製の丼で冷めにくいラーメンを提供する店舗もあり、その丼も金属加工の技術を受け継いできた燕の企業が作ったものです。
職工の出前と、1932年の屋台
認定一覧の文は昭和初期の燕から始まります。輸出用の金属洋食器の製造が盛んで、職工の残業は夜遅くまで続きました。それまで細麺・薄味だったラーメンは、職工たちの要望で腹もちがよく伸びにくい極太麺になり、汗をかく職工のためにしょっぱめのやや濃い醤油味に改良されます。スープを背脂で覆うと冷めにくくなり、「忙しさのあまり出前直後に食べられない職工たちを喜ばせました」。
詳細データのほうは、1932(昭和7)年の屋台の営業から話が始まります。「火力の弱い屋台では細麺しか茹でることができず」、スープも今とはまったく違う、さっぱりした薄味でした。翌1933(昭和8)年、金属加工の工場が多かったこの地域に、徐昌星さんが穀町で福来亭を開きます。汗をかく働く人の要望に応えて、味は少しずつしょっぱくなっていきました。
背脂については、出前でスープが冷めないように振りかけて蓋をしたとも言われている、と断ったうえで、「働く人々に一層の満腹感を得てもらうために背脂を取り入れたことが真実です」と続きます。詳細データは、冷めにくくなったことを、スープの味がまろやかになったことと並べて、背脂を入れた結果に数えています。福来亭は今の杭州飯店で、徐昌星さんは3代目店主の徐直幸さんの祖父にあたります。
細麺・薄味から変わったことと、汗をかく人のためにしょっぱくしたことは、2つの文で重なります。違うのは、麺が細かった訳と、背脂を入れた目的です。どちらが正しいかは、この2つの文だけでは決められません。
燕で食べる店
出前のほうは、詳細データによると、町工場が工場団地へ移り始めて注文が減りました。その後はラーメンブームで全国から客が集まるようになり、詳細データの時点で燕市内の背脂ラーメンの店は50店舗以上でした。
燕市観光協会の背脂ラーメンのページには49店が並んでいます(2026年10月16日に見たページで数えた数)。福来亭が今の店名になった杭州飯店のほか、食堂や居酒屋、焼肉店も入っています。各店の欄は住所と電話番号に、店の詳細ページとGoogleマップへのリンクが付いた形です。詳細データの50店舗以上とは、数えた時期と範囲が同じとは限りません。
営業時間と定休日は、行く前に店ごとの案内で確かめてください。たとえば一覧に載る酒麺亭 潤 燕総本店(燕市小牧464-12)は、店の公式ページで営業時間が11:00〜15:00と17:00〜21:30(LO21:00)、定休日が火曜日と第2月曜日です(2026年10月19日に見た時点)。
家で食べる品は、楽天市場で燕の背脂ラーメンを探すPRか、Amazonの検索結果PRで見られます。どちらも語で引いた売り場の一覧で、100年フードの認定を受けた品を集めたものではありません。
燕三条駅と燕駅から
燕市へは、上越新幹線と弥彦線が止まる燕三条駅か、弥彦線の燕駅で降ります。燕三条駅の上越新幹線は、2026年10月改正の平日の時刻表で、新潟方面の終発が23時13分、上りの終発が22時35分です。22時35分の上りには越後湯沢行きとみられる印が付いていて、その前の上りは21時52分です。土曜・休日の時刻は、JR東日本の時刻表で確かめてください。
由来の文に出てくる金属洋食器は、燕市産業史料館(燕市大曲4330-1)の日本の洋食器展示室で、燕で作られてきた歩みとともに見られます。燕三条駅からタクシーで約5分ですが、駅から距離があるので車かタクシーで来るよう史料館は勧めています。入館料は大人400円、開館は9時から16時30分で、月曜(祝休日の場合は翌日)が休館です。