東京国立博物館の総合文化展は一般1,000円、大学生500円です。高校生以下・満18歳未満・満70歳以上と、障害者とその介護者1名は無料になります。開館は9:30〜17:00で、毎週金曜・土曜日(と、翌月曜日が祝日にあたる場合の日曜日)は20:00までです。休館日は月曜日で、祝日にあたる日は開館し、翌平日が休みになります。
早見表
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 総合文化展観覧料 | 一般1,000円、大学生500円 |
| 無料になる人 | 高校生以下、満18歳未満、満70歳以上、障害者と介護者1名 |
| 開館時間 | 9:30〜17:00(入館は閉館30分前まで) |
| 夜間開館 | 毎週金・土曜日は20:00まで |
| 休館日 | 月曜日(祝日の場合は開館し翌平日休館)、年末休館 |
| 年末休館 | 2026年12月26日〜31日、2027年は1月1日から開館(時間未定) |
料金と時間は2026年9月時点、東京国立博物館の公式サイトによります。総合文化展のチケットは公式サイトからオンラインで買えて、日時指定なしで購入から2か月使えます。特別展のチケットを持っていれば、同じ日に限り総合文化展も見られます。総合文化展では常時3,000件を展示していて、展示替えは年間約300回。ほぼ毎週、どこかの展示室で展示品が変わります。
金・土曜の夜間開館まで見て泊まるなら、宿は楽天トラベルの上野駅周辺のホテル・旅館の一覧PRで探せます。
1872年、湯島聖堂の博覧会から
東京国立博物館は、1872年(明治5年)3月10日に文部省博物局が湯島聖堂の大成殿で開いた博覧会を、創立・開館の時としています。会期は20日間の予定でしたが、来場者が多く入場を制限する必要が出て、4月末日まで延びました。入場者は総数15万人、1日平均およそ3,000人。陳列品は600件余りで、御物をはじめとする古器旧物(文化財)と、剥製・標本などの天産物が中心でした。会場の中庭に置かれたガラスケースの金の鯱は、観覧者の注目を集めました。当事者の一人だった田中芳男は、混雑のため入場を制限し、会期を延ばさざるを得なかった、と後に振り返っています。この博覧会は、翌年オーストリアで開かれるウィーン万国博覧会への出品準備も兼ねていた、と東京国立博物館の館史は記しています。
できた時期が違う6つの展示館
いまの東京国立博物館は6つの展示館でできています。本館(日本の美術)、平成館(日本の考古・特別展)、東洋館(東洋の美術)、法隆寺宝物館(法隆寺献納宝物)、黒田記念館(黒田清輝の作品)、表慶館(特別展・イベント)です。
本館の2階は「日本美術の流れ」と題した常設展示で、縄文時代から江戸時代までの日本美術をたどります。教科書で見る名品に出会えるのもこの階です。1階は彫刻・陶磁・刀剣など、ジャンルごとにじっくり見せる展示と企画展示です。いまの本館は1938年(昭和13年)の開館で、設計は渡辺仁です。瓦屋根をのせた帝冠様式の建物で、2001年に重要文化財に指定されました。これより前、1881年(明治14年)にコンドル設計の旧本館が建っていましたが、1923年の関東大震災で損壊しています。
平成館の1階は考古展示室で、土器・土偶・銅鐸・埴輪など発掘品を展示しています。1999年(平成11年)10月、今上陛下の御成婚を記念して開館しました。東洋館は、エジプトや西アジアから中国・朝鮮、東南アジアまで、アジア各地の美術と工芸、考古遺物を展示しています。1968年(昭和43年)10月、文化庁の発足に合わせて開館しています。


法隆寺宝物館は、明治時代に奈良・法隆寺から皇室に献納された金銅仏・伎楽面・押出仏・仏画などを収めています。正倉院宝物と並び称され、正倉院の宝物が主に8世紀の作品なのに対し、法隆寺宝物館にはそれより古い7世紀の宝物が多く含まれているのが特色です。いまの新館は1999年(平成11年)7月、谷口吉生の設計で開館しました。旧館は1964年の開館で、保存のため公開は週1日に限られていましたが、新館になって他の展示館と同じ週6日公開になっています。

黒田記念館は1928年(昭和3年)の竣工で、本館などとは離れた敷地にあり、観覧は無料です。特別室では、代表作「湖畔」「読書」「舞妓」「智・感・情」の4件を、年3回・各2週間だけ公開しています。

いちばん古いのは表慶館で、1908年(明治41年)9月29日に竣工しました。大正天皇の御成婚を祝う奉祝会が渋沢栄一・千家尊福らを中心に集めた寄付金で建てた美術館で、設計は片山東熊。花崗岩を使った古代ギリシャ・ローマ様式の建物で、正面入口には大熊氏広と沼田一雅が手がけた青銅製のライオン像が置かれています。1978年に重要文化財に指定されています。ふだんは特別展やイベントの開催時だけ開館します。

自然史の収蔵品は、いまの国立科学博物館へ
明治期の博物館は、歴史・美術・天産(自然史)に図書館・動物園も含めた大博物館として構想されました。この構想を提案したのは町田久成で、明治6年(1873年)に上野を候補地とする建白書を提出しています。1925年(大正14年)、東京国立博物館は自然史に関する収蔵品を東京博物館(現在の国立科学博物館)などに引き渡し、このときに分かれました。上野公園をはさんで建つ2つの博物館は、もとは1つの構想だったことになります。
美術館を続けて回るなら、横浜美術館・神奈川近代文学館・大佛次郎記念館の記事も書きました。
編集部の考え
1872年の博覧会は、文化財を集めて並べた展示であると同時に、翌年のウィーン万博に何を出品するかを選ぶ場でもありました。文化財の保存を主目的に掲げた記録は見つからず、両方を同時にやっていた、と考えています。国力を見せるための博覧会というより、見せる材料が結果として文化財になった、という順番です。