海外移住資料館(JICA横浜)の入館料は無料です。開館は火曜日から日曜日、10:00から18:00(入館は17:30まで)で、年末年始(12月29日〜1月3日)は休館になります。
アクセスと基本情報
最寄り駅はみなとみらい線の馬車道駅です。4番出口から徒歩約8分。みなとみらい駅からは、クイーンズスクエア方面改札を出て徒歩約15分かかります。JR・横浜市営地下鉄の桜木町駅からは、汽車道やワールドポーターズ、新港サークルウォークを通って徒歩約15分。関内駅からは馬車道経由で徒歩約15分です。車の場合は首都高速神奈川線みなとみらいICから約5分ですが、資料館専用の駐車場はありません。所在地は横浜市中区新港2丁目3-1、JICA横浜の2階です。

常設展示室の解説を聞ける日本語の音声ガイド(一般版・ジュニア版)があります。館内での貸出機はなく、来館者がスマートフォンやタブレットとイヤホンを持参して使う形で、館外でも利用できます。
常設展示は5つのコーナー、資料数は約1,500点
常設展示は大きく5つに分かれ、展示資料数は約1,500点です。「海外移住の歴史」は、日本人の海外移住を5つの時期に分けた年表と、都道府県別の移住者数を示した立体地図、ハワイの官約移民を取り上げたコーナーです。「われら新世界に参加す」は、なぜ海外へ行ったか、どんな仕事に就いたか、どう暮らしていたかを、移住の呼びかけポスターや農機具、食器棚の再現といった品物で見せます。「日系人・日系社会の変遷をたどる」はブラジルを例に環境の変化を解説し、「日系人・日系社会の現在」は海外の日系博物館の館長や国内で活躍する日系人へのインタビューを紹介しています。企画展のときは、ガイダンス映像を流している企画展示ホールが展示会場に変わります。海外移住資料館は2002年10月4日に開館し、2026年4月5日に入館80万人を達成しました。
資料館の母体であるJICA(国際協力機構)は、開館前の約3年間、ロサンゼルスの全米日系人博物館やサンパウロのブラジル日本移民史料館といった同種の施設、大学や現地の日系人団体から情報を集め、資料の寄贈や借用を交渉しました。こうして開館までに集まった資料は約12,000件。これに、JICAがもともと持っていた図書や写真・映像・音声類の約4万件が加わっています。
1885年のハワイ官約移民、1908年のブラジル笠戸丸
1885年から1894年まで、ハワイ王国と日本政府の協定に基づく「官約移民」の制度が26回実施され、約29,000人がハワイへ渡りました。募集は全国で行われましたが、広島・山口・熊本・福岡の4県からの応募が多く、広島県からの渡航者は約11,000人で全体の3分の1以上を占めています。第一回の募集人数は600人でしたが、応募は28,000人に上り、実際に渡ったのは944人。広島県からは222人で、山口県の420人に次ぐ人数でした。賃金は男子が食費込みで1か月15ドル(当時の日本円で約15円、広島の農業労働者男子の月給1円50銭の約10倍)、女子は10ドルでした。1891年の広島県の調査では、ハワイに渡った広島県出身者からの送金額は約27万円で、同じ年の広島県の予算額の54%に達しています。
ブラジルへの移住は1908年に始まります。4月28日、第1回契約移民781人を乗せた笠戸丸(東洋汽船、6,167総トン)が神戸港を出港し、50余日の航海を経て6月18日朝にサントス港へ着きました。この日は、日本では「海外移住の日」、ブラジルでは「日本人移民の日」です。笠戸丸はその後も客船や工船として使われましたが、1945年8月9日、カムチャツカ沖でソ連軍により撃沈されました。
この船そのものを追った本に、宇佐美昇三『笠戸丸から見た日本 したたかに生きた船の物語PR』(海文堂出版)があります。著者が40年以上かけた文献調査と現地取材をもとに、イギリスでの誕生から漁業工船としての最期までをたどった本で、2008年の山縣勝見賞著作賞を受けています。刊行は2007年なので、いまの常設展示とは重ならない所があるかもしれません。
「県人会」は出身の都道府県ごとの集まり
移住した人たちは、出身の都道府県ごとに「県人会」を作りました。ブラジルには、47都道府県の県人会をまとめる連合会KENRENがあり、1966年に設立されています。KENRENは、日系移民の支援と日本文化の保存・普及、47都道府県の県人会の強化を目的に掲げていて、サンパウロで開く「日本祭り(Festival do Japão)」を、ラテンアメリカ最大の日本文化イベントとしています。広島県だけを見ても、現在、9か国28地域に在外広島県人会が組織されています。
外務省領事局政策課の推計(2023年10月1日時点)によると、海外の日系人・移住者は世界で約500万人、うち中南米在住は300万人以上(南米300万人、中米8万人)です。移住先の国から日本へ来て暮らす日系人とその家族は、約21万人(2017年時点)にのぼります。
編集部の考え
移住した人たちが「日本人会」でなく「県人会」を作ったのは、住む場所が日本から離れるほど、出身の都道府県という単位を強く意識したからだと思います。広島県だけで9か国28地域に県人会が組織されているのは、日本人という括りより、広島県出身という単位のほうが、現地で頼れる相手を見つけやすかったからではないでしょうか。
住む場所と、心をつなぐ先を切り離せる点では、ふるさと納税で出身地や縁のある自治体を選ぶ発想も、県人会に近いところがあります。