「祭りは神事です。イベントではありません。」。野沢温泉村の道祖神祭りを主催する野沢組の惣代が、2025年11月30日付の通知に書いた言葉です。2026年は入場券が村民と村内に泊まる人にだけ出て、飯山駅へ戻る野沢温泉ライナーの最終も火付けより前の19:35発でした。2027年1月15日(金)の入場の決まりと冬の時刻表はまだ発表されていません。
祭りは長野県野沢温泉村で毎年1月15日の夜に行われます。村の人がたいまつを手に社殿へ火を付けに行き、厄年の男たちが社殿の上と前でそれを叩き消します。約1時間半の攻防のあと、社殿は火を入れられて燃え落ちます。火付けが始まるのは20:30なので、見物するなら15日の夜は村に泊まる前提で計画を立てることになります。
15日の夜の流れと2026年の時刻
| 15日 | 野沢組の毎年の流れ | 2026年の目安(観光局) |
|---|---|---|
| 昼 | 昼過ぎ 社殿完成 | 正午〜 社殿完成予定 |
| 19:00 | 火元もらい | 火元もらい |
| 19:30 | 初灯籠到着 | 灯籠到着 |
| 20:00 | 花火、道祖神太鼓 | 煙火、道祖神太鼓(20:20まで。悪天候の際は中止) |
| 20:30 | 火元到着、惣代と初灯籠の奉納者の火付け、子どもの火付け | 火元到着、惣代と初灯籠の奉納者の火付け。子どもの火付けは20:35〜20:50 |
| 20:50 | 大人の火付け | 大人の火付け |
| 22:00 | 大人の火付け終了 | 22:00頃 大人の火付け終了 |
火祭りの火は、厄年の代表が19時に火元の家へもらいに行き、代々伝わる火打ち石で起こします。攻防が終わるのは午後10時すぎで、双方の手締めのあと社殿に火が入ります。初灯籠は、社殿が最高潮に燃え上がったときに燃やされ、社殿が燃え落ちるのは午後11時すぎです。燃え残りの火は翌朝まで続きます。野沢組の説明では、この火で餅などを焼いて食べると、風邪をひかずに1年間健康で暮らせると言われています。2027年の時刻はまだ発表されていません。
2026年の見物の決まり
2026年1月15日の祭りでは、観光局の案内に次の決まりが載っていました。
- 入場は入場券を持つ人だけ。券は村民と、村内に泊まる人(外国人を含む)で見物を希望する人に出て、泊まる宿に問い合わせる形でした。
- アルコール類を含む飲み物の持ち込みは禁止。
- 会場へのビン・缶の持ち込みは禁止(惣代と初灯籠の奉納者は除く)。
- 道祖神場付近での無人航空機(ドローン)の飛行は、改正航空法により禁じられていると案内されていました。
- 野沢温泉内の道路はすべて駐車禁止で、歩行用の道路などにも規制がかかりました。
2027年の入場の決まりは、観光局のお知らせと野沢組のサイト、泊まる宿で確かめてください。
飯山駅からの行き方と帰りの便
野沢温泉の最寄り駅は北陸新幹線の飯山駅で、直通バスの野沢温泉ライナーで約25分です。乗り場は千曲川口(正面口)の4番で、運賃は大人600円。通年運行で予約は要りませんが、すべての新幹線には接続していません。JR飯山線の戸狩野沢温泉駅から野沢温泉への公共交通はありません。
2025〜26年の冬の時刻表(2025年12月13日〜2026年3月30日)では、飯山駅発の最終は21:20で、野沢温泉に21:45に着きます。一方、野沢温泉発の最終は19:35でした。2026年3月30日からの今の時刻表でも、野沢温泉発の最終は19:35です。時刻表のページには、臨時便などは載らない場合があると注記されています。
この冬は、Uberのアプリで呼ぶライドシェアが2026年12月11日から2027年3月25日まで、8:00〜22:00に走ると案内されています。範囲は野沢温泉と飯山駅を中心とするエリアで、飯山駅と戸狩野沢温泉駅も含みます。ただし大人の火付けが終わるのは22時ごろ、社殿が燃え落ちるのは午後11時すぎなので、火祭りを最後まで見てからの帰りには使えません。
社殿を守る人と火を付ける人
祭りの作業を担うのは「三夜講」と呼ばれる仲間です。文化庁の解説では、数え42歳の厄年を迎える男たちを筆頭に40歳までの3つの年齢層で組み、これに数え25歳の厄年の青年たちが加わります。野沢組の説明によると、この厄年行事を務めて初めて村の大人の仲間入りができ、一人前として認められるとされています。
当日は、社殿の上に42歳、社殿の前に25歳が陣取ります。攻めるのは厄年ではない村の人で、火付けの順は、野沢組惣代、初灯籠の奉納者、村の子どもたち、大人です。2026年の案内では、火付けには村民以外は加われず、お客様は見学のみとされていました。
2026年の祭りで42歳の厄年をまとめた片桐健策さん(厄年総括)は、終わった直後の話を観光局のnoteに寄せています。準備にかける日数は年に何十日にもなり、仕事があるから祭りに出られないのではなく、「祭りがあるから仕事できない、になるんです」と話しています。片桐さんの数え方では、祭りの仕事は11日から5日間続きます。
里曳きから社殿の完成まで
社殿を組む木は、前の年の秋に山から伐り出されます。主催の野沢組によると、1月13日の午後1時から、社殿の中心になる5本のうち2本を、25歳と42歳の厄年の男たちが二組に分かれて曳きます。日影ゲレンデから温泉街を通って会場まで、三時間あまりかかる道のりです。沿道の家が御神酒を奉納するたびに、道祖神の手締めがあります。
14日は朝から深夜まで、15日も午前中に作業が続き、社殿は昼ごろに完成します。野沢組の説明では、社殿造りはすべて手作業で、危険が伴うので、この時ばかりは酒も断ちます。社殿には針金や釘などはいっさい使われていないとされ、厄年の男たちが乗る部分の広さは8メートル四方です。
道祖神と初灯籠
道祖神は縁結びと子宝の神で、野沢組によると、木造の道祖神は八衢比古神(男)と八衢比賣神(女)と伝えられています。各家では祭りまでに男女の道祖神の木像を作ります。
前の年に長男が生まれた家では、子どもの成長を祈って初灯籠を作り、火祭りに奉納します。野沢組の説明では高さは5間(約9メートル)で、1月11日に家の前で組み立てて祝い、15日の夕方にたいまつの火を先頭に会場へ運びます。
国の文化財と祭りの歴史
文化庁は1993年12月13日に国の重要無形民俗文化財に指定し、保護団体は野沢温泉村野沢組です。
野沢組の「道祖神とは」のページは、いつ始まったかは定かでないとしたうえで、天保十年の道祖神碑や文久三年の帳面から、江戸時代後期にはすでに盛大に行われていたと推察しています。かつては上と下の二か所で行われていましたが、大正元年(1912)に警察から火災予防の達しがあり、一つにまとまって片桐家の土地だった馬場ノ原に移りました。
厄年の三夜講が担う今の形は、昔からのものではありません。村の副読本によると、祭りはもともと若者組が担っていましたが、戦後に若者組が解散し、昭和30年(1955)に野沢組惣代が三夜講と25歳の厄年の若者に続けてほしいと頼んで、今の組織ができました。