記念碑の地図記号に、碑文を表す縦線を加えた形の記号があれば、それが自然災害伝承碑です。過去に起きた洪水や土砂災害、高潮、地震、津波、火山災害などの様子や被害を伝える石碑やモニュメントで、多くは被災した場所に立っています。国土地理院が市区町村からの申請を受けて地理院地図に載せていて、2026年9月24日には5市区町村12基が加わり、公開数は全国686市区町村2,481基になりました。
地理院地図では専用の地図記号で表示され、碑文の要約や写真も見られます。
1. 記念碑の記号に、碑文を表す縦線を加えた地図記号
自然災害伝承碑の地図記号は、もとからある記念碑の記号に碑文を表す縦線を加えた形です。従来の記念碑記号よりサイズが約1.5倍(縦・横・線幅)大きくなっています。この記号は2019年6月14日、2万5千分1地形図図式の一部改正によって正式に制定されました。
2. きっかけは平成30年7月豪雨(西日本豪雨)
取組が始まったきっかけは、平成30年7月豪雨(西日本豪雨)です。多くの犠牲者が出た地区には100年以上前の水害を伝える石碑があったものの、住民から「石碑があるのは知っていたが、関心を持って碑文を読んでいなかった」という声が聞かれたと、2018年8月17日付の中国新聞は報じています。
これを受けて国土地理院は、2019年3月15日に測量行政懇談会で取組の開始を報告し、2019年6月19日に48市区町村158基を地理院地図に掲載しました。2019年9月1日には、自然災害伝承碑を掲載した2万5千分1地形図を初めて刊行しています。その後も掲載は増え続け、2020年7月16日に1,000基を超え、2021年11月29日からはハザードマップポータルサイトの重ねるハザードマップにも表示されるようになりました。2022年9月28日に1,500基、2023年9月28日に2,000基を超えています。

3. 申請があった市区町村から、順に掲載している
自然災害伝承碑は、市区町村が管内の伝承碑を自ら調べ、市区町村長からの掲載申請書を国土地理院の各地方測量部に提出し、承認された分から地図に載る仕組みです。
このため国土地理院は、掲載のない地域に自然災害伝承碑が存在しないとは言えず、災害リスクがない安全な地域と言えるわけでもないと注意を促しています。
4. 地理院地図での表示手順
地理院地図で自然災害伝承碑を見るには、次の手順です。
- 地理院地図を開き、左上の「地図」ボタンをクリックして情報パネルを開く
- ベースマップを「淡色地図」に切り替える
- 「地図の種類」から「災害伝承・避難場所」→「自然災害伝承碑」の順に選び、見たい災害種別をクリックする
- 見たい地域に移動し、表示されたアイコンをクリックする
- 碑名・災害名・写真が出るポップアップから、写真をクリックすると詳しい説明が表示される
自然災害伝承碑の情報は、ズームレベル7〜18で表示されます。2021年9月1日からアイコンの色(彩度)が変更され、視認性が上がりました。
5. 一覧とデータのダウンロード
市区町村ごとの伝承碑数や伝承されている災害、写真の二次利用の可否は、「掲載市区町村一覧」(2026年9月24日版、PDF 904KB)で確認できます。
碑の情報そのものは、2020年8月21日からGeoJSONとCSVの形式でオープンデータとして提供されています。項目はID・碑名・建立年・所在地・災害名・災害種別・伝承内容・位置座標・公開日・修正公開日・制限事項で、このうち制限事項・公開日・修正公開日は2024年1月25日に追加されました。碑の写真そのもののダウンロード提供はしていません。
利用にあたっては国土地理院コンテンツ利用規約に従い、出典に「国土地理院ウェブサイト」とページのURLを記載します。写真の一部は市区町村ではなく第三者に権利がある場合があるため、二次利用の可否は市区町村別の一覧で確かめる必要があります。
6. 神奈川・東京にある5基の例
国土地理院が公開しているデータ(2026年9月24日時点)では、神奈川県に101基、東京都に56基の自然災害伝承碑があります。このうち、神奈川県内で横浜市にあるのは1基だけです。
| 碑名 | 所在地 | 建立年 | 伝わる災害 |
|---|---|---|---|
| 復興記念碑 | 横浜市中区横浜公園 | 1929年 | 関東大震災(1923年9月1日) |
| 波除碑 | 江東区木場 | 1794年 | 高潮(1791年9月、寛政3年) |
| 治水碑 | 足柄上郡開成町吉田島 | 1941年 | 昭和13年洪水(1938年6月・7月) |
| 箱根町上水道竣功記念碑 | 足柄下郡箱根町箱根 | 1931年 | 北伊豆地震(1930年11月26日) |
| 供養塔 | 墨田区両国・回向院 | 1785年 | 浅間山噴火(1783年8月4日) |
横浜公園の「復興記念碑」は1929年に建てられました。伝承内容には、1923年9月1日に発生した関東大震災により旧横浜市で建物の全壊28,169軒、死者26,623名の被害があったこと、横浜公園は関東大震災の際、多数の横浜市民の避難場所となったことが記されています。
木場の「波除碑」は1794年に建てられました。寛政3年(1791)9月3日に大雨が降り始め、翌日の高潮で深川洲崎一帯が流され、多数の死者・行方不明者が出たことを受け、跡地を空き地にし、両端に碑を建てたと伝わります。
開成町の「治水碑」は1941年に建てられました。昭和13年(1938)6月中旬からの豪雨により増水した酒匂川で、6月30日正午に堤防が崩壊し始め、7月1日午前2時に決壊しました。官民延べ1万人余りが協力し、7月9日にようやく治まったと伝わります。
箱根町の「箱根町上水道竣功記念碑」は1931年に建てられました。昭和5年(1930)11月26日の北伊豆地震による被害を受けた上水道の復旧を記念した碑で、旧箱根町の被害は極めて甚大で、家屋150戸の内120戸が全壊または半壊、死者13名であったと伝わります。
回向院の供養塔は1785年に建てられました。所在地は東京都墨田区両国二丁目(回向院)で、天明3年浅間山噴火(1783年8月4日)による犠牲者を供養するために建てられたと伝わります。
個々の碑が私有地にあるか、常時見学できるかは、国土地理院の公開データには記載がなく未確認です。写真の二次利用や訪問時の注意事項が書かれている場合は、掲載市区町村一覧で確認できます。
7. 編集部の考え
地図記号ができてからまだ日が浅く、しかも申請があった市区町村からしか載りません。載っていない土地に碑がないとは言えず、載っている土地が安全だとも言えないという国土地理院の注意書きは、そのまま読んでおくとよいと思います。碑を探す作業は、その土地の災害履歴を知るきっかけの一つとして使うのがよさそうです。
出かける前や、旅先で大雨・地震にあったときの公式ページの探し方は、旅先の大雨・地震で開く公式ページにまとめています。