JR山手線の目黒駅西口から歩いて7分、山手通りと目黒通りの交差点に大鳥神社があります。2026年の酉の市は11月7日(土)の一の酉と19日(木)の二の酉で、両日とも8時から22時頃まで。19時からは社殿で太々神楽と熊手の舞が奉納され、二の酉の朝には江戸消防記念会の木遣りもあります。
一の酉は7日、二の酉は19日
| 一の酉 | 二の酉 | |
|---|---|---|
| 日付 | 2026年11月7日(土) | 2026年11月19日(木) |
| 時間 | 8時〜22時頃 | 8時〜22時頃 |
| 10時10分頃 | なし | 江戸消防記念会の木遣り |
| 19時から | 社殿で太々神楽、熊手の舞 | 社殿で太々神楽、熊手の舞 |
酉の市は、毎年11月の酉の日、つまり暦の十二支で酉にあたる日に開かれる市です。いまは稲荷神社などで開かれる例もあるが「本来は、大鳥神社で行われる特殊行事です」と、神社は酉の市のページに書いています。同じページには「本年は、二の酉まででございます」とあり、2026年の市はこの2日で終わります。木遣りと神楽の時刻も、同じページに令和8年の日程として載っているものです。
時刻の決まった見どころのうち、木遣りがあるのは二の酉の19日だけで、時刻は10時10分頃。神楽は両日とも19時からなので、土曜の7日は夜の神楽に合わせて出かけられ、木曜の19日は朝の木遣りと夜の神楽の両方に合わせられます。
目黒区のページによると、太々神楽は神前で祭典中に舞う神楽です。
熊手守は拝殿の両脇で
神社が酉の市の日に授けるのは「開運熊手守」で、熊手にお守りをつけたものです。お知らせのページは、参拝の折にこの熊手守を受けて、御祭神のご神徳を受けるよう呼びかけています。授与は両日とも8時から22時頃まで、拝殿の向拝の両側で受けられるので、19時の神楽を見てから受けても間に合います。ふだんの授与所の時間(9時から12時30分と13時30分から16時)とは違う、市の日だけの時間です。
目黒駅西口から歩いて7分
神社の案内では、JR山手線目黒駅の西口から歩いて7分です。山手通りと目黒通りの交差点にあり、住所は目黒区下目黒3-1-2。駐車場はお祓いを受ける人のためのものです。問い合わせの電話は03-3494-0543で、受付は9時から17時までです。目黒区のページでは、東急バスの大鳥神社前でも降りられます。
境内で旅行の記念に撮った写真をSNSに上げることを、神社は規制していないと案内しています。テレビや雑誌の取材・撮影には事前の申請が要ります。公園ではなく祈りの場で、ほかの参拝者もいるので、マナーを守ってお参りするよう神社は求めています。
神事に供える八つ頭と熊手
酉の市の神事では、御神前に八つ頭の芋と熊手をたてまつります。
その2つの由来を、神社は日本武尊の東征の話で説明しています。八つ頭は、尊が東征のときに八族の頭目を平定した功業をかたどったもの。熊手は、尊が焼津で焼討ちに遭ったとき、薙ぎ倒した草を熊手でかき集めさせて火を防ぎ、向火で賊を平らげて九死に一生を得たことを偲ぶものです。
そこから、頭の芋とも呼ばれる八つ頭は人の頭に立つ出世の縁起と結びつき、熊手は「家の内に宝を掃き込むとか掻き込むという意味で縁起物として」広く信仰を集めました。神社の説明では、熊手で火を防いだ由緒から火難除けの神とも伝えられ、今も江戸消防記念会が酉の市に参拝しています。二の酉の朝に木遣りを奉納するのが、この江戸消防記念会です。この記事の写真の拝殿にも、柱に「江戸消防」の金文字の入った黒い提灯が掛かっています。神社によると、社名の「おおとり」は「大取」に通じるので、宝を大きく取り込む商売繁盛と開運招福の神としても信仰されています。
目黒区のページは、同じ故事を少し違う形で伝えています。区によると、尊は先が三方に分かれた金属製の熊手で火を防いだといい、酉の市はもとは尊の戦勝記念と、焼津で火難を防いだことに由来する火難除けの神事だったと伝えられます。市が酉の日に開かれるのは、日本書紀の景行天皇紀にある熊襲征伐への出発の日が酉の日だったためといわれます。
浅草から熊手を取り寄せたのが始まりという市
神社の酉の市のページには、当社の酉の市の起源はとても古く「浅草の酉の市と並ぶ、江戸時代に始まります」とあります。
年代まで挙げているのは目黒区のページ「歴史を訪ねて 大鳥神社」です。区の月刊めぐろに昭和54年から60年まで載った記事を再構成したもので、それによると、天保6年(1835年)11月の初めの酉の日に、下目黒の造り酒屋の大国屋與兵衛が浅草から熊手を取り寄せたことに始まるといいます。もとは付近の農民が野菜や実用品を売るために開いていた市だったらしい、とも区は書いています。八つ頭は出世、熊手は宝をかき込む縁起物になり、農民の市が年月とともにそれと結びついて、庶民に親しまれるお酉さまに変わっていったのだろう、というのが区の見方です。
社そのものの古さは、神社の由緒にあります。景行天皇の時代、この地には国常立尊を祀った社があり、東征の途中に立ち寄った日本武尊が東夷の平定と部下の目の病の治癒を祈ったところ、どちらもかなったと伝わります。そのため目黒の祈願所ともいわれます。社伝では、尊の霊がこの地に白鳥として現れ、鳥明神として祀ったとされ、社殿が造営されたのは由緒では大同元年(806年)です。社紋に鳳凰の紋を使うのはこのためだと神社は説明しています。由緒によると、室町時代の長禄の江戸図に記された社は9つしかなく、鳥明神と記されたこの社は江戸九社の一つに数えられています。区のページは、日本武尊を主祭神とする区内最古の神社と紹介しています。