江戸時代の中頃まで、酉の市で博打が認められていたのは、足立区花畑の大鷲神社だけだったと伝わります。参詣人が水路や陸路で集まったこの社へ、今は谷塚駅か六町駅から東武バスに乗り、停留所から歩いて8分で着きます。2026年の酉の市は11月7日(土)と19日(木)で、門は各日5時から24時頃まで開いています。
酉の市の起源は、この社の11月の祭に立った門前市だと言われています。深夜は門を閉めるので、浅草の酉の市と同じ日に回る人は、この閉門の時刻を先に頭に入れておいてください。
2026年の日程と開門時間
| 日付 | 開門 | |
|---|---|---|
| 一の酉 | 11月7日(土) | 5時から24時頃まで |
| 二の酉 | 11月19日(木) | 5時から24時頃まで |
2026年の二の酉は平日の木曜日です。門は日付が変わる頃に閉まるので、仕事のあとに行く人は、帰りのバスの時刻と合わせて着く時間を決めておくと安心です。境内の神楽殿では、酉の市にお囃子などが奉納されます。
谷塚駅から東武バスで
東武スカイツリーラインの谷塚駅から、東武バスの花畑桑袋団地行きに乗り、草加記念体育館で降ります。谷塚駅の時刻表では、この行き先の便は【竹14】と【谷01】の系統で、全車スロープ付きの車両で走っています。草加記念体育館から参道入口までは歩いて8分です。
停留所からの道は、ひぐち歯科クリニックのある交差点を左に渡り、大鷲さくら橋を渡ります。いちご薬局を過ぎたら左に曲がって、まっすぐ進むと参道入口に出ます。
バスの時刻は、神社のアクセスページにある谷塚駅と草加記念体育館の時刻表へのリンクから見られます。帰りの最終のバスが何時かは未確認です。門は24時頃まで開いていますが、バスがそこまで走っているとは限らないので、行く前に時刻表で帰りの便を見ておいてください。
六町駅から文教大学循環で
つくばエクスプレスの六町駅では、東武バスの1番乗り場から出る文教大学循環に乗り、花畑六丁目で降ります。ここからも歩いて8分です。
降りたら、バスが進んで来た方向にまっすぐ進み、3本目の道を右に曲がります。そのまままっすぐ行くと参道入口です。循環バスなので、帰りも同じ花畑六丁目の停留所から乗ります。時刻表は、アクセスページの六町駅と花畑六丁目の時刻表へのリンクから見られます。
車で行くとき
神社には第一駐車場と第二駐車場がありますが、アクセスページには「酉の市の際は駐車場が大変混み合いますので、公共の交通機関にてお越しください」とあります。神社の南側の道路は一方通行で、第一駐車場からは右折しかできません。
酉の市の当日は臨時駐車場が設けられ、場所の地図は神社のトップページから開けます。2026年は、シャトルバスが9時から21時まで走りますが、結ぶのは神社と臨時駐車場の間です。開門の時間より短いので、朝早くや夜遅くに車で来ると、臨時駐車場との行き来にシャトルバスは使えません。
境内で受ける「かっこめ」
この社のお札所で頒布しているのは、熊手にお札と稲穂を付けた「かっこめ」と開運扇です。お守りやご朱印は午前9時から午後4時までの頒布で、時間外は社務所に問い合わせます。かっこめの頒布の時間がこれと同じかは未確認です。神社の祭事の案内によると、形の由来は1つではなく、運を掻き込むための熊手の形とも、社名にちなんで幸運を鷲掴みにする鷲の足が元になったとも言われます。
前の年に受けたお守りやお札は、三の鳥居を入って左側の古札納所に返せます。11月から3月頃までは、神楽殿の北側で預かってもらえます。ほかの神社で受けたお札も納められますが、お寺で受けたお札やお守りは、できればお寺に納めてほしいとのことです。七五三詣のご祈祷を受ける人は、酉の市の当日はとても時間がかかることも覚えておいてください。分からないことは、足立区花畑7丁目16番8号の大鷲神社の社務所(電話 03-3883-2908、8時30分から18時)に問い合わせられます。
酉の市の起源と言われる門前市
祭事の案内によると、応永年間(1394〜1428)から、日本武尊の命日とされる11月の酉の日に、尊への神恩感謝の祭が行われるようになりました。人が集まると門前市が開かれ、「とのまち」「とりのまち」と呼ばれて農耕具などが売られます。これが、後の酉の市の起源と言われています。
同じ案内によると、古い時代の酉の市では、御祭神の好物とされる鶏が生きたまま奉納され、翌日に浅草観音へ納められました。案内には「氏子は鶏を神様の召し上がる物として、自分たちが食べることを禁忌としました」とあり、この風習は昭和20年頃まで続いて、今も一部で受け継がれていると説明されています。
博打が認められていた頃の賑わいは、「あまりの参詣人で千住大橋が下がる程であったと伝わっています」と祭事の案内にあります。
日本武尊を祀る社
由緒によると、日本武尊は東征の帰路にこの地に本陣を置いて人々を救ったと伝えられ、崩御ののちに人々が尊を祀りました。中世には、新羅三郎源義光が後三年の役に向かう途中でこの社に戦勝を祈願しています。今の本殿は幕末に幕府の命で佐竹氏が改築したもので、嘉永7年(1854)から明治8年(1875)までかけた総欅造りです。